samansa59’s blog

訪問看護の仕事の中で感じたことなど自由に書いていきます。

入学式

私は、子育てをしながら看護師で働いていたが、自分の娘には看護師にはなってほしくなかった。死と向き合う仕事であり、若い自分にはかなりのストレスになっていた。患者家族の怒り、悲しみを背負うことが辛かった。終末期ばかりケアしていると、自分の人生まで希望の持てないものになっていた。

娘には希望・癒し・楽しみを人に与えられる仕事に就いてほしかった。大学を出て結婚して出産した娘が、今日看護学校の入学式に臨む。

娘は初めての子育てをするなか、看護師である私のバックアップが心強かったらしい。

それと昔、娘が学生の頃に「あなたは看護師に向いている。感性が豊かで洞察力がある」と言った私の言葉を覚えていた。

私も人生を重ね ターミナルケアを自分の天職だと思えるようになって、娘の看護師になりたい思いを素直に受け入れることができた。

娘も出産して「子供を看る」という経験をしている。「人の看る」「患者さんを看る」すべて一緒。

看護学校から届いた教科書をみながら、私自身がわくわくしていた。希望と不安をもって看護学校に入学した頃の自分に戻っていた。

3年間、私のできる範囲で娘を応援していきたい。

入学、おめでとう! 私のブログの読者の一人である娘へエールを送る。

訪問看護の伝承

介護保険が始まり17年経過した。その頃訪問看護ステーションを立ち上げた管理者が定年を迎えている。職場を去るにあたり次期管理者を立ててやめていくのであるが、後継者が育たず、廃業するステーションが多くあると聞く。

私も、現在勤務するステーションの前に、ある医療法人の後ろ盾で地元に訪問看護ステーションを立ち上げた。訪問看護がやりたかったから楽しくでたまらなかった。最初は365日緊急待機電話を持っていても苦にならず、働いていた。年々スタッフも増え、業績が伸びていったが、私の訪問看護への強い思いを引き継いでくれるスタッフは実際育っていなかった。

私は、依頼のあるすべても事例を断ったことがなかった。どんなに困難事例でも、自分だから調整できるんだと自負して働いていた。それは、患者さんをたらい回しにして難民にすることはできなかったから・・・。地元の医師からは信頼され、順調に運営できていた。しかし、私がそのステーションを去った後の管理者は、困難事例は断る、スタッフとの同行訪問をしない、など怠惰なものであったようである。それゆえ、業績不振で3年ほどで廃業した。

では、今働いているステーションでは育っているのか?

管理者の力量を持つスタッフは3人いる。しかし、実際管理の仕事となるとハードルが高くなる。事業所の運営(収益をあげて存続させる)や、スタッフ一人一人の力量を見極め、良い所は伸ばしながらさらにスキルアップできるように指導する、対外的に講演や会議への出席、看護学生の調整、看護の質向上への取り組みの継続指導、各ケアマニュアル整備と定期点検、毎月定期カンファレンス実施と研修実施、年2回の職員面接、事業報告など 数えきれない。

「私には 無理です」と大抵言われる。 でも、そろそろ少しづつ引き継ぎをしていかないといけない。2年後には私も定年だからだ。

「そんなに気負う事ないんじゃないの?誰かがやるよ。」と友人には言われる。

でも、60才という節目に、きちんと引き継いで安心してやめたいと思う気持ちは他の管理者も同じと思う。訪問看護・管理のすべてを伝承できるように後2年頑張りたい。

 

 

 

 

定年

病院の退院カンファレンスの時に友人である師長から「私、今月いっぱいで定年なの。3月27日が最後の勤務」と耳打ちされた。 「え?定年?」とても見た目が若いので、まだまだそんな時期とは思わなかった。

昨日27日、本当は花束でも持って会いに行きたかったけれど、仕事に追われ電話したのが18時すぎだった。「会いにいけなかったけどごめんね、今までお疲れ様でした」「いいよ、電話ありがとう。この病院で25年働いた。頑張ったでしょ?もういいよねー」「本当に頑張ったよね。褒めてあげてね自分を・・・しばらくゆっくりするの?」「2週間後に違う病院勤務するようになってる」「えー、もっとゆっくりしたら?自分にもっとご褒美あげてよ」「今でも十分自分にご褒美与えているから・・2週間も休めばいいよ」「それより、あなたも無理しないでね」

この師長とは古い間柄である。そんなに会う機会はないのだけれど、久しぶりにあってもどこか相通するものがある。

帰宅してもう一度メールした。<定年、お疲れ様!これからも健康に気をつけて頑張ってね> <看護の世界に全身全霊をかけ、どっぷりつかった人生だったと思います。これからは、ゆっくり進みます><今度、お茶しましょ><了解>

職業がら、話の内容は簡単明瞭で余分なことばは一切ない。でも、これで十分理解し合えるから不思議だ。 私も定年まで2年半。訪問看護の集大成をするべく、着々と頑張るのみ。

2年半・・・私のエンジンは持つだろうか・・・・・

看護師免許

「受験番号2○△番、合格しました」

元気な声でステーションに入ってきた彼女。ステーション全員で祝福した。

彼女は50代後半の医院の准看護師である。

准看学校卒業して、医院へ就職して以来38年勤務していた。

私がこのステーションに就職して以降、いろいろ協働して仕事をしてきた。

病棟経験のない彼女は、医療行為や医療処置にとても興味があり

わからないことは臆することなく質問してきたので、できるだけわかりやすく

説明した。共同研究も一緒にするなか、「看護師免許とってみたら?」との

私の問いかけに「頑張ってみようかな・・・」

しばらく一緒に仕事をする機会がなく、久しぶりに会った時「私、今学校に通っている。通信だけど・・・台所で勉強していると、いつの間にか眠ってしまうけど・・・でも頑張る」と屈託のない笑顔で言った。

彼女は通信学校の卒業式で答辞を読んだのである。その答辞をステーションのみんなの前でも

読み上げてくれた。50才後半という年齢での勉強は大変だったと思う。でもその答辞の内容には、さまざまな方々への感謝の気持ちであふれていた。ステーションのスタッフ皆、涙した。

彼女の顔にはやり遂げた達成感と国家資格をとった誇りとが入り混じり、とても輝いていた。そのパワーに、私の心も満たされた。

準備していた花束を渡した。メッセージカードに「合格おめでとう」と書いていた。

彼女は「もしも不合格ならどうしようと思ったの?」「絶対、合格すると思ったよ」   

小さな嵐が去ったあと、暖かい気持ちに満たされた。

2つのステーション

70代女性。乳がん末期状態。ほぼ独居状態で左上肢(患肢)の痛みがありマッサージを希望しているが、自分のステーションでは対応できないので週2回入ってほしいとAステーションから依頼があった。

Aステーションに同行訪問した。10畳もある広い部屋に暖房器具はなく寒い。下肢が軽度屈曲しており下肢のマッサージをしている。ワセリンをつけてマッサージしているが、なんせワセリンなので伸びない。これで気持ちいいのか?左上肢(患肢)の痛みに関しては、レスキューが効かないから先生に相談しないといけないと言っている。

本人のADLを見てみた。自力で起居、立位ができる。他動的にアキレス腱のストレッチしていてもすでに拘縮気味になっているためあまり効果ないが、立位をしっかりとることで重力でストレッチができる。最初はつま先立ちだったが、3分もすると自然に踵が床につくようになる。「踵が床についているのわかりますか?伸びてますよー」と言うと本人はとっても嬉しそうに「こうやって立てばいいんやね。これからやってみる」と嬉しそうだった。両下肢の筋肉の緊張が高いが、寒いことにも関係しているので、足浴して十分暖めてから筋肉をほぐすリラクゼーション図ることにした。また、左上肢も寒さからかなり冷感が強かったので温タオルで十分温めた。「痛みが和らぐね」

レスキュードーズではとれない痛みと思われていたが、対症療法を考えただけで緩和ができた。

その患者さんの家に初めて訪問して、環境、居住空間、疾患からくる症状、投薬、ADL本人の考え方を総合的にアセスメントして看護の方法を考えていく。

Aステーションでは、本人がマッサージしてほしいというので本人の家にあるワセリンをつかって、とりあえずマッサージをしていた。しかし苦痛の緩和が図れず、もっともっとマッサージをしてほしいという欲求になっていった。Aステーションの方法が間違っていたわけではない。一生懸命対応されていた。ただ、経験からくる引きだしの数が少なかっただけだ。

寒いという環境を考慮し、温める⇒心もリラクゼーション⇒ストレッチ、ほぐすマッサージ⇒痛みの緩和⇒満足する・・・ちょっと手を加えるだけで患者さんの満足度が上がる。

自分でできるストレッチ・・・独居に近い状態であるからこそ、自分でできる能力を引きだしてあげることも大切。

この患者さんは2つのステーションを使ってみて、どのように感じたか・・・

 

褥瘡

80代女性。寝たきり状態で認知症あり。ケアマネから「褥瘡ができたので訪問看護に入ってほしい」と電話があった。仙骨部に10cm大の巨大褥瘡ができていた。エアーマットは入っておらず。週5日デイサービスに参加していてデイサービスの看護師は何をしていたのか?ケアマネに主治医この褥瘡の件知っているのか聞くと「お話しはしました。でも自分(医師)はあまり褥瘡を診たことがないと言われていました」

あまりにも巨大褥瘡のため、市民病院のWOCと連携をとり、ひとまず入院し加療することにした。5cm大に縮小した所で退院時共同指導を開く。会議の場で在宅医が自分は自分なりに考えていたことを言い訳がましく繰り返していることが哀れに思えた。

褥瘡の処置方法、ポジショニング方法、食事の内容、デイサービスへはやはり行かせたいとの事でデイサービス先にエアーマット準備して頂いた。訪問看護も週2回入り評価していった。褥瘡の程度をみながら外用薬を在宅医に提案。半年で完治した。

いつも思う。褥瘡をつくってから訪問看護を入れるのではなく、褥瘡をつくらない介護をしてほしいと。ケアマネがもっと褥瘡の勉強をしてほしい。リスクが高い利用者へは家族に説明して、エアーマットくらい最初から入れておいてほしいものだ。

在宅ではケアマネジャーのスキルで在宅療養が決まる。

褥瘡をつくってからでは医療費がかかる。患者さんへの身体的苦痛、家族の負担を考えると真剣に取り組んでほしい。

癌と向き合うために

近医からケアマネも含め訪問看護に早急に入ってほしいと連絡があった。

早々に患者様宅へ訪問する。60代女性膵臓がんの肝臓転移。

居間のソファーに横になっている妻は、右わき腹を押さえ顔が歪んでいる。

「痛み止めは飲んでみえますか?」夫が幾種類もの薬袋を出してくる。

「どれをどのように飲ませたらいいかわからないんだ。こんなに痛がっているのに

あの病院は入院もさせてくれない」

とりあえず処方されているレスキュードーズ服用して頂き、状況を把握する。

妻を夫がかかえトイレに行く。食事はほとんど喉を通らず、ジュース類でしのいでいた。1か月もの間、2階の寝室まで上がれずソファーで過ごしていたと。定期でオピオイド服用していたが全く効かず、お腹を抱えて七転八倒したときもあるとのこと・・・

主治医に報告。市民病院の癌性疼痛認定看護師にも連絡。連携をとって、疼痛コントロール目的で入院させて頂いくことにした。

「え?入院できるんですか?」「御主人もよく頑張られましたね。入院して奥様の痛みをもう少し和らげるようにしていただきましょう」

入院翌日、夫がステーションに来訪された。「1か月ぶりにベッドに横になってぐっすり眠っている妻を見ました。ほっとして・・・本当にありがとうございました」

こういった例はまれではない。癌で通院しているが受診時に十分な指導がなされないために痛みのコントロールがついていなかったり、副作用で苦しんでいたりする患者さんは多い。病院のMSWや退院調整看護師は入院しているの患者さんの退院後の在宅との連携を図ることはできても、通院中の患者さんまで手が回らない。

高齢者世帯が増えた。同伴している家族も高齢で、受診時若い医師からの早口と専門用語の説明についていけないのが現状。そして、たくさん処方される医療用麻薬に対して

「麻薬なんて毒だ。できるだけ飲まない方がいい」という解釈の多いこと・・・

癌を受け止め、癌と向き合うためにもっとサポートが必要だ。

この患者さんは、痛みのコントロールが図れ、在宅へ戻った。そして、夫に見守られ在宅で看取りをすることができた。

どのタイミングで訪問看護に繋いで下さるかが鍵となる。