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samansa59’s blog

訪問看護の仕事の中で感じたことなど自由に書いていきます。

定年

病院の退院カンファレンスの時に友人である師長から「私、今月いっぱいで定年なの。3月27日が最後の勤務」と耳打ちされた。 「え?定年?」とても見た目が若いので、まだまだそんな時期とは思わなかった。

昨日27日、本当は花束でも持って会いに行きたかったけれど、仕事に追われ電話したのが18時すぎだった。「会いにいけなかったけどごめんね、今までお疲れ様でした」「いいよ、電話ありがとう。この病院で25年働いた。頑張ったでしょ?もういいよねー」「本当に頑張ったよね。褒めてあげてね自分を・・・しばらくゆっくりするの?」「2週間後に違う病院勤務するようになってる」「えー、もっとゆっくりしたら?自分にもっとご褒美あげてよ」「今でも十分自分にご褒美与えているから・・2週間も休めばいいよ」「それより、あなたも無理しないでね」

この師長とは古い間柄である。そんなに会う機会はないのだけれど、久しぶりにあってもどこか相通するものがある。

帰宅してもう一度メールした。<定年、お疲れ様!これからも健康に気をつけて頑張ってね> <看護の世界に全身全霊をかけ、どっぷりつかった人生だったと思います。これからは、ゆっくり進みます><今度、お茶しましょ><了解>

職業がら、話の内容は簡単明瞭で余分なことばは一切ない。でも、これで十分理解し合えるから不思議だ。 私も定年まで2年半。訪問看護の集大成をするべく、着々と頑張るのみ。

2年半・・・私のエンジンは持つだろうか・・・・・

看護師免許

「受験番号2○△番、合格しました」

元気な声でステーションに入ってきた彼女。ステーション全員で祝福した。

彼女は50代後半の医院の准看護師である。

准看学校卒業して、医院へ就職して以来38年勤務していた。

私がこのステーションに就職して以降、いろいろ協働して仕事をしてきた。

病棟経験のない彼女は、医療行為や医療処置にとても興味があり

わからないことは臆することなく質問してきたので、できるだけわかりやすく

説明した。共同研究も一緒にするなか、「看護師免許とってみたら?」との

私の問いかけに「頑張ってみようかな・・・」

しばらく一緒に仕事をする機会がなく、久しぶりに会った時「私、今学校に通っている。通信だけど・・・台所で勉強していると、いつの間にか眠ってしまうけど・・・でも頑張る」と屈託のない笑顔で言った。

彼女は通信学校の卒業式で答辞を読んだのである。その答辞をステーションのみんなの前でも

読み上げてくれた。50才後半という年齢での勉強は大変だったと思う。でもその答辞の内容には、さまざまな方々への感謝の気持ちであふれていた。ステーションのスタッフ皆、涙した。

彼女の顔にはやり遂げた達成感と国家資格をとった誇りとが入り混じり、とても輝いていた。そのパワーに、私の心も満たされた。

準備していた花束を渡した。メッセージカードに「合格おめでとう」と書いていた。

彼女は「もしも不合格ならどうしようと思ったの?」「絶対、合格すると思ったよ」   

小さな嵐が去ったあと、暖かい気持ちに満たされた。

2つのステーション

70代女性。乳がん末期状態。ほぼ独居状態で左上肢(患肢)の痛みがありマッサージを希望しているが、自分のステーションでは対応できないので週2回入ってほしいとAステーションから依頼があった。

Aステーションに同行訪問した。10畳もある広い部屋に暖房器具はなく寒い。下肢が軽度屈曲しており下肢のマッサージをしている。ワセリンをつけてマッサージしているが、なんせワセリンなので伸びない。これで気持ちいいのか?左上肢(患肢)の痛みに関しては、レスキューが効かないから先生に相談しないといけないと言っている。

本人のADLを見てみた。自力で起居、立位ができる。他動的にアキレス腱のストレッチしていてもすでに拘縮気味になっているためあまり効果ないが、立位をしっかりとることで重力でストレッチができる。最初はつま先立ちだったが、3分もすると自然に踵が床につくようになる。「踵が床についているのわかりますか?伸びてますよー」と言うと本人はとっても嬉しそうに「こうやって立てばいいんやね。これからやってみる」と嬉しそうだった。両下肢の筋肉の緊張が高いが、寒いことにも関係しているので、足浴して十分暖めてから筋肉をほぐすリラクゼーション図ることにした。また、左上肢も寒さからかなり冷感が強かったので温タオルで十分温めた。「痛みが和らぐね」

レスキュードーズではとれない痛みと思われていたが、対症療法を考えただけで緩和ができた。

その患者さんの家に初めて訪問して、環境、居住空間、疾患からくる症状、投薬、ADL本人の考え方を総合的にアセスメントして看護の方法を考えていく。

Aステーションでは、本人がマッサージしてほしいというので本人の家にあるワセリンをつかって、とりあえずマッサージをしていた。しかし苦痛の緩和が図れず、もっともっとマッサージをしてほしいという欲求になっていった。Aステーションの方法が間違っていたわけではない。一生懸命対応されていた。ただ、経験からくる引きだしの数が少なかっただけだ。

寒いという環境を考慮し、温める⇒心もリラクゼーション⇒ストレッチ、ほぐすマッサージ⇒痛みの緩和⇒満足する・・・ちょっと手を加えるだけで患者さんの満足度が上がる。

自分でできるストレッチ・・・独居に近い状態であるからこそ、自分でできる能力を引きだしてあげることも大切。

この患者さんは2つのステーションを使ってみて、どのように感じたか・・・

 

褥瘡

80代女性。寝たきり状態で認知症あり。ケアマネから「褥瘡ができたので訪問看護に入ってほしい」と電話があった。仙骨部に10cm大の巨大褥瘡ができていた。エアーマットは入っておらず。週5日デイサービスに参加していてデイサービスの看護師は何をしていたのか?ケアマネに主治医この褥瘡の件知っているのか聞くと「お話しはしました。でも自分(医師)はあまり褥瘡を診たことがないと言われていました」

あまりにも巨大褥瘡のため、市民病院のWOCと連携をとり、ひとまず入院し加療することにした。5cm大に縮小した所で退院時共同指導を開く。会議の場で在宅医が自分は自分なりに考えていたことを言い訳がましく繰り返していることが哀れに思えた。

褥瘡の処置方法、ポジショニング方法、食事の内容、デイサービスへはやはり行かせたいとの事でデイサービス先にエアーマット準備して頂いた。訪問看護も週2回入り評価していった。褥瘡の程度をみながら外用薬を在宅医に提案。半年で完治した。

いつも思う。褥瘡をつくってから訪問看護を入れるのではなく、褥瘡をつくらない介護をしてほしいと。ケアマネがもっと褥瘡の勉強をしてほしい。リスクが高い利用者へは家族に説明して、エアーマットくらい最初から入れておいてほしいものだ。

在宅ではケアマネジャーのスキルで在宅療養が決まる。

褥瘡をつくってからでは医療費がかかる。患者さんへの身体的苦痛、家族の負担を考えると真剣に取り組んでほしい。

癌と向き合うために

近医からケアマネも含め訪問看護に早急に入ってほしいと連絡があった。

早々に患者様宅へ訪問する。60代女性膵臓がんの肝臓転移。

居間のソファーに横になっている妻は、右わき腹を押さえ顔が歪んでいる。

「痛み止めは飲んでみえますか?」夫が幾種類もの薬袋を出してくる。

「どれをどのように飲ませたらいいかわからないんだ。こんなに痛がっているのに

あの病院は入院もさせてくれない」

とりあえず処方されているレスキュードーズ服用して頂き、状況を把握する。

妻を夫がかかえトイレに行く。食事はほとんど喉を通らず、ジュース類でしのいでいた。1か月もの間、2階の寝室まで上がれずソファーで過ごしていたと。定期でオピオイド服用していたが全く効かず、お腹を抱えて七転八倒したときもあるとのこと・・・

主治医に報告。市民病院の癌性疼痛認定看護師にも連絡。連携をとって、疼痛コントロール目的で入院させて頂いくことにした。

「え?入院できるんですか?」「御主人もよく頑張られましたね。入院して奥様の痛みをもう少し和らげるようにしていただきましょう」

入院翌日、夫がステーションに来訪された。「1か月ぶりにベッドに横になってぐっすり眠っている妻を見ました。ほっとして・・・本当にありがとうございました」

こういった例はまれではない。癌で通院しているが受診時に十分な指導がなされないために痛みのコントロールがついていなかったり、副作用で苦しんでいたりする患者さんは多い。病院のMSWや退院調整看護師は入院しているの患者さんの退院後の在宅との連携を図ることはできても、通院中の患者さんまで手が回らない。

高齢者世帯が増えた。同伴している家族も高齢で、受診時若い医師からの早口と専門用語の説明についていけないのが現状。そして、たくさん処方される医療用麻薬に対して

「麻薬なんて毒だ。できるだけ飲まない方がいい」という解釈の多いこと・・・

癌を受け止め、癌と向き合うためにもっとサポートが必要だ。

この患者さんは、痛みのコントロールが図れ、在宅へ戻った。そして、夫に見守られ在宅で看取りをすることができた。

どのタイミングで訪問看護に繋いで下さるかが鍵となる。

 

最近みた夢

お題「最近見た夢」

自分の役目ー訪問看護ステーションの管理者、母親、妻、祖母、義母と相手によって立場がいろいろある。ゆえにストレスも抱えている。以前は、階段から落ちる夢、地面を無数の毛虫がうめつくし払いのけている夢、階段をあがると2階の床が抜け落ちている夢を多くみていた。寝ていても神経をすり減らし、朝起きたときの気分の悪さ・・・また朝がはじまった憂うつ感さえあった。

アドラー心理学と出会い、自分にできていなかった「課題の分離」ができるようになり、また著書に書かれていることを実行するようになってから、最近夢を見ない。

実践することー朝起きたら「爽快だー」と言って起きる。寝るとき「良い一日だった。ありがとう」と言って寝る。体調が良くても悪くても「爽快だー」という事。何日か実行していくうちに、不思議な事に爽快に起きれるようになる。感謝して寝るとぐっすり眠れるようになる。

今までは毎朝起きた時に嫌な夢を覚えていた。覚えているからこそ、嫌な気分になった。私にとって夢を見ないこと、見ていても覚えていないことが嬉しい現実である。

最近みた夢はない。

最期の写真

70代男性肝臓がん末期状態。CVポート管理で在宅移行となった。自営仕事をしながら妻は介護にあたる。嫁いだ娘さんは病院の看護師。2か月後に結婚式をあげるという。父親である患者さんは、結婚式出席を夢見ていた。しかし、どんどん進行する病状。あまり残された時間がなかった。看護師の娘さんに会う機会があった。現状を説明し、残された時間がない事や娘さんの花嫁姿を見ることをとても楽しみにしている事を伝えた。しかし、式場はすでに予約している。変更はできない。 せめて花嫁姿だけでも見せてあげてくれませんかとお願いした。

無理を言っていることはわかっている。でも患者さんの娘さんに対する深い愛情に応えたかった。娘さんは水面下で準備をして下さっていた。親戚にも声をかけてくれた。

当日、娘さんはウエデイングドレスを着てとてもきれいだった。娘さんの彼氏もタキシードを着られた。15人ほどの親戚の方も着物をやタキシードを着て、すべて正装で出席して下さった。呼吸困難が出現していたため、患者さん本人にタキシードを着せるのに看護師二人でも苦労した。

全員で記念写真。SpO2値がかなり低かったが、写真撮影の10分程度、酸素は外してくれと言われた。娘の晴れ舞台にきちんと写りたいと・・・

黄疸が強く、あまりいい顔色ではなかったが、最高の笑顔だった。

それから2日後、天国へ旅立った。

2週間後、ステーションへ娘さんから手紙が届く。自分は小児科勤務で看取りの経験がないので病期がわからなかったと書いてあった。残された時間がない事を教えてもらい、家で父親と一緒に結婚式の写真を撮ることができ一生の思い出となったと感謝の気持ちが書かれていた。手紙とともに全員で移った写真が表装されて同封してあった。

今でも時々、机の中から取り出すこと写真。私達の心に残る思い出となった。