samansa59’s blog

訪問看護の仕事の中で感じたことなど自由に書いていきます。

アドラー心理学

「嫌われる勇気」のテレビを見て、アドラー心理学に興味をもった。

早速3冊本を購入。読んでいくうちに 私はだめな管理者であることを痛感する。

自分自身の今までの多くの経験から、すべてをスタッフに指示していた。あらゆりリスクを回避すべく対処していた。ステーションとしては上手く機能する。しかし、スタッフが育っていないのだ。

問題がおきれば、すぐカンファレンスを開き問題解決をしていくが、「なぜ、なぜ」と原因の探求をしてしまうため、結局しばらくすると同じ問題が発生する。建設的に話し合ったつもりが、そうではなくスタッフの意識が変わっていないからだ。アドラーに学ぶ部下育成の心理学(小倉広著)には「ほめるな 叱るな 教えるな」と書かれている。これすべて 私は行っていた。私の期待以上の関わりができれば褒め、指示通りできなければ叱り、問題が起きないように看護の注意点、関わり方、対処方法などを教えていた。

これでは、スタッフがいつまでも指示待ち人間になり、成長できないはずだ。購入した3冊は一晩でいっきに読んだ。読んだら実行するしかない。

失敗を恐れ、予防線をはることなく スタッフ自身が失敗して自分で学ぶ必要がある。

自分で考えて看護していく必要がある。

私自身、行動変容しないといけない。いくつになっても未熟であり、成長しないといけないと痛感する。

また、アドラー関係の本を買おうと思う。当分 この心理学にどっぷりつかりそうだ・・・

命の値段

70才男性。肺がん末期状態。妻に先立たれ 男で一つで二人の子供を育てた。長男夫婦と孫と同居。長女は嫁ぎ、夫の家業を手伝っている。長女には4つ子がおり、育児と仕事で忙しい毎日を送っていた。

肺がんの病状が進行する中、熱発を機に脱水となった。しかし、点滴を頑なに拒否するのである。医師と看護師で幾度か話を聴くうちに意図がわかる。「自分はあと1か月のうちに死ななければならない。そうしないと長女に400万円の保険金がおりない」 生命保険の受取人を長女にしていたのである。それを知った長女は「命を粗末にしないで、私のためにも生きて!お父さん」医師の説得もあり、補液を行い病状は安定した。

日にち単位になった段階で、私は長女に電話。「2~3日でいいのでこちらに寝泊まりして介護できませんか?」本人が長女に思いをはせていることはわかっていた。一緒に住んでいる長男には目をかけられるが、遠くに嫁いだ娘さんのことが一番気がかりだったのだ。娘さんは4つ子を義母に任せ、来て下さった。できるだけケアは一緒に行った。看護師が清拭するより、ぎこちない手で娘さんが行った清拭に、本人はやわらかい笑みを浮かべた。

本人の横に布団を敷き夜も過ごされた。娘さんが帰らなければならない日の昼間、急に容態が悪化。息子さん夫婦、娘さんに見守られ 天国に旅立った。

大切に育てた子供さんたちに見送られ、幸せであったと思う。

大切な命に値段などない。

苦情

70才代、女性 胃癌末期 認知症、独居。同居している長男さんは有職者で帰りが遅いため、長女さんが毎日足を運び介護されていた。経口摂取ができなくなり、水分摂取も少なくなってきて尿量減少。娘さんは、点滴を希望された。少しでもいいから母親に生きていてほしいという気持ちからだった。当ステーションのスタッフ訪問し、点滴を行う。1日目はどうにかできたが、2日目には血管が細く入らなかった。主治医報告し、できなければいいとの見解で家族に説明した。

翌日、娘さんから苦情の電話が入る。

「昨日来た看護師さんはどういう人ですか?点滴刺す時、今から点滴しますと説明しないから母がびっくりして痛い!っていいました。それに、血管がみえないことはわかりますが、私に“ここが血管ですよね”と確認とるんです!素人の私にわかるはずもありません。点滴ができなかった時に私に責任をなすりつけようとしたんです。だいたい、血管が見えにくかったら、温タオルで手を暖め、血管を見やすくするように努力するでしょ?清拭する時も、いきなり暑いタオルで拭くから、母は驚いていました。認知症があるから、説明して行うのは常識でしょう!もう、あの看護師を来させないで下さい。」

すぐ、患者様宅に訪問して、再度事情を聴く。陳謝して、今後このようなことがおきないようにスタッフ全員で話し合う事を伝え、了承を得られた。

苦情申し立てして、すぐ対応した事で、娘さんは安心したと仰られた。

娘さんは、その看護師に、心のこもったケアをされていないと感じたのだ。

本人に面接。訪問看護6年目。普段から無愛想で、コミュニケーションが下手な看護師だった。

今までにもカンファレンスで看護サービスとは何か、コミュニケーションとは何かスタッフ全員で研修を行いスキルを共有してきたつもりであったが、結局、一人一人の看護師の問題で、研修内容を実行できていなかった結果である。

面接で再指導したが、この看護師にとって“相手の立場にたった、心のこもったケア”はどんなケアなのだろうか?

当分、OJT行う予定である。

別れ

84才の医師。訪問看護を積極的に導入して下さり、急変時にはいつでも対応して下さる元気の良い医師であった。しかし、高齢とともに体力は低下、ある日吐血して入院された。退院後は仕事整理され医院を閉じられた。

59才医師。医師である父親の介護を長年され在宅で看取りをされた。母親も寝たきりとなり、自宅介護。診察の合間の時間、休日もすべて介護に費やした。他人に任せることができず、頑張りすぎた。責任感の強い医師であり、患者さん思いの医師であったが

自ら命を絶った。

80才医師。訪問看護師の話をいつも丁寧に聴いて下さる温和でやさしい医師であった。いつも朝風呂に入る習慣があった。ある日、奥様が浴室で倒れている姿をみつけた。帰らぬ人となった。

連絡協議会で長年訪問看護ステーションの管理者をしている友人が人事異動で施設の管理者に変わることになった。20年訪問看護に携わってきている友人が去るのはとてもさみしい思いであるが、組織の中の命令では仕方がない。

いつもより寒い冬。別れの寂しさや空しさも重なり、気持ちが晴れない日々が続く。

 

ぎりぎりの生活

50才代の妻は神経難病を患っていた。介護をしながら4つのアルバイトをかけもちして夫は働いていた。朝4時に起き、新聞配達、7時に帰宅し30分後には出勤。昼1時間帰ってきても妻への食事準備・片付けで、夫自身がろくに食事をとれる余裕がない。4つのアルバイトしても収入はしれている。妻の週1回のデイサービスと食事代、オムツ代、訪問看護費用が出せる限界だった。

暖房のない部屋は、外よりも寒く感じた。電気ストーブをつけ、せめて熱い湯でタオルをしぼり、暖かいタオルで十分体を温める。「あーー、温かい・・・」冷たい足は、足浴をして足を暖めたあとクリームをつけてマッサージを行う。そうしないと凍傷にかかりそうであった。ベッドサイドにペットボトルが準備してるが、凍えそうな寒い部屋で冷たい水は飲めない。電子レンジで牛乳を暖め飲んで頂く。

ある日、市民病院から訪問看護ステーションへ電話があった。夫が泌尿器の精査検査に受診しないので連絡を取りたいとのことであった。以前から夫は血尿がでていた。訪問看護で何回も受診を勧め、やっと受診したあと、精査する必要があると言われているのに受診が途絶えていた。泌尿器の医師が心配していると・・・

夫にそのことを伝えた。「悪いことは分かっている。お金がないから治療できないし、その間 妻を施設へ預けるお金もない。ま、いいですは・・・死ぬときは死ぬだけです」

二人の娘さんに連絡をとり、状況説明。娘さんから説得してもらったが、頑として受け入れない。 夫にも覚悟があるのだろう。 

ぎりぎりの生活。結局、「無い袖は振れない」のである。

せめて、訪問看護で関わりながら、 こと夫婦を支えていくしかない。

これから、このような人びとが増える時代になってくる。

心の支え

夫婦ともに70才前半。夫は大腸癌、妻は子宮がんを患っていた。夫のストマ交換に週2回訪問している。訪問すると、大抵妻は 奥の居室で横になっている。

「食事はどうされていますか?」「おれが、近くのスーパーへ自転車で買いに行っている」「でも、座るとおしりが痛くて大変と仰ってみえましたよね?」「おれが買い物行けなきゃ、餓死するまでだ」「入浴はできていますか?」「できてる!できてる!」「介護保険申請して、ヘルパーさん頼みましょうか?」「人の世話になりたくない。まだできる!」そう言われているが、室内は散乱し、台所は洗いものがたまっている。浴室も入浴した気配がない。薬の飲み忘れも多く、特にオピオイドがきちんと服用できていなかったので、服薬管理もすることにした。妻の様子も気になり、顔を覗いてみると、かなり具合が悪いようである。妻も内服がほとんど飲めていない。「次回の受診はいつですか?」「1か月先」「明日にでも一度受診した方がいいですよ。」「じゃあ、診てもらうわ」結局入院となった。

70才前半。60才代を元気に過ごされ、60才代後半で見つかった病。それも夫婦二人ともに発症した。こんなはずではなかったと思う気持ちに反して、進行する病気。心と体のアンバランス。気力、体力が落ちていく自分を認めたくない思いが先行し、看護師に強がってみせる。

本人の気持ちを尊重して、週2回見守ることにする。しかし、観察は十分行い、介入すべき時期は逃さないことが肝要である。

「いつでも、私達がいます!何かあったら相談して下さいね」「わかってる。ありがとう」 

「妻の受診、看護師さんに言ってもらって良かった。入院短期間で済みそうだ。おれのいう事聞かないから、あいつは・・・」

自分たちの事をわかってくれている人がいる、いざとなったら手を差し伸べてくれる人がいることは、心の大きな支えとなる。患者さんとその家族を含め、支えることができるのが訪問看護だと感じる。

 

赤い糸

78歳夫婦二人暮らし。内縁関係であったが夫が肝臓がん末期と診断された昨年に入籍をした。妻は本当に献身的に介護をされていた。朝から晩まですべて夫のために時間を費やした。内縁関係が長かったため、近所付き合いは全くない。子供もいない。毎日入る訪問看護師との会話だけが、妻にとってと慰めだった。食が細くなれば、朝5時に起きて野菜を蒸し、裏ごししてペーストを作る。何時間も煮込み肉を柔らかくする。頻尿である夫は、夜間5回トイレに行くが、すべて付き添った。妻はいつ寝ているのだろう・・・と思わせるような働きぶりだった。

終末期になり、妻へは予期的悲嘆に対する説明を重ね、最期の時を穏やかに迎えられるように準備した。そして夫の他界。

ご遺体を葬儀場に運ぶときに、妻は夫の小指に赤い糸を結んだ。

あの世でも一緒になれますようにと、妻は願っていた。

1週間ほどして訪問。遺影の前で座り込む妻。少し痩せてみえた。「ちゃんと食べていますか?」「食べているよ」介護していた時のことを話しながら、延々と涙を流す妻。

最初は言葉をかけていたが、その悲しみの深さに最後はかける言葉を失った。

妻の様子をみているうちに、後追い自殺をするのではないか?と脳裏をよぎった。

「決して、命を絶つようなことはしないで下さいね」思わず言葉にでてしまった。

「そんなことはしないよ。自殺すれば地獄に落ちる。そうなれば、あの世であの人に会えないじゃない」 弱弱しく微笑んだ。

外には、夫の車が処分せずに置いてある。その車はお守りとして、ずーと駐車場においておくとのこと。

「何か困ったことがあったら、電話くださいね」 家を後にした。

あの世でも、赤い糸で結ばれた人と会えますように・・・心の中で深く思った。