samansa59’s blog

訪問看護の仕事の中で感じたことなど自由に書いていきます。

何が正しいか

75才男性。長年の喫煙でCOPD発症。少しの労作でSpO2値80%代まで低下。

話し好きで昔話をして下さるのは嬉しいけれど、 5分で肩呼吸となりSpO2値が80%まで低下するので 一旦休憩をして頂くようにしていた。

お風呂好きで週2回どうしても自宅で入浴したいという希望で訪問看護開始となった。

居室から浴室まで7メートルほど歩く必要があるが、3メートぐらいの歩行でSpO2値70%まで低下する。酸素量増やし休憩しながら浴室へ到着。脱衣は全介助。上肢の等張運動でSpO2値が低下してしまうからだ。入浴動作は、さらにきびしかった。SpO2値60%まで低下してしまう。これでは 身体への侵襲が大きいため せめてシャワー浴にするように説得したが、聞く耳を持たなかった。

主治医に報告。認められないが、本人の意志で仕方がないと概ね目をつぶる許可がでた。毎回の入浴時にSpO2値60%まで低下するため、浴後の回復にかなりの時間を要した。看護師の心配をよそに、本人は大満足であった。

病期が進み、ターミナル期になっても入浴を希望された。「もしかしたら浴室で亡くなる可能性もありますよ」と説明しても「入浴中に死ねたら本望だ」と本人。

その日も入浴し、SpO2値60%下回ったが、浴後肩呼吸しながら「気持ちよかった」と言われ、その夜 救急搬送された。 そして2日後 永眠。

 しばらくして 自宅訪問。妻は「ご無理言ってお風呂入れてもらってすみませんでした。でも本当に主人感謝していましたよ。自分の思いをくみ取ってくれてありがたかったと。ありがとうございました」

看護師は本来、身体に侵襲のないように安全安楽にケアするよう考えることが必要である。病院だったら 実践できていなかったことである。在宅だからこそ、本人の希望を叶えることができた。実際 息苦しい様子を見ている看護師も辛かったことは確かである。しかし、亡くなる前に本人が感謝してくれたこと、妻も同じ思いだったことで、私達のケアが認められように思われ、救われた。

何が正しい看護か? 私は、患者の思いに寄り添うケアがしたいと思う。

 

心が折れる

スタッフの友人の看護師Aさんから訪問看護研修の依頼を受けた。

以前勤務していた訪問看護ステーションを1月に退職し、Aさんはいたく疲れていた。

以前の管理者は「医師の指示だから、点滴だけすればいいんだ」「指示がないのに細かいところまで介入しなくていい」といったように、自分のやりたい看護が全くできなかったと言われた。

訪問看護とはなにか・・・看護の力で患者さんの生活、健康面、精神面、を整えQOLを向上させること、ターミナルであれば患者さん家族が死を受容でき安らかに最期を迎えるナビゲーションをすること寄り添うこと・・・など私が話していくうちに、Aさんは大粒の涙を流し始めた。止まらない涙に、Aさんの辛かった思いが伺えた。

「前の職場では、私の考えが間違っているかとさえ感じました。でもそうじゃないことがわかった。よかった・・・・」

Aさんは早い段階での職場復帰を希望していたが、私はあえてゆっくり休むことを提案した。以前、私もこころが1回折れたことがある。そのような時に、患者さんのケアなんてとてもできない。まずは、自分自身の心と体をケアしないといけない。

「ゆっくり養生して、しっかり充電できたら、また来てください、いつでも迎えますよ」と話したら、また大粒の涙があふれた。

看護師だって人間。患者さんのために一生懸命働くのもいいけれど、自分自身が心身ともに健康であってこその看護である。あせることはないのだから、休むときは休む決断が必要だと思う。 いつでもどうぞ、待っていますAさん・・・

これからどうする

80才代老夫婦。妻は夫の暴力を結婚当初から受けていた。親戚、兄弟からは離婚するように幾度となく勧められたが、「でも、ほっとけない」と妻は言い、今に至る。

一人息子さんも父親の暴力で家をでて、音信不通状態。妻の兄弟も関わりたくないスタンスで、保証人も拒否。

妻は乳がんの骨転移末期状態。痛みで起き上がれない時もある、嘔吐して体調のすぐれない時もあるが、夫は午後5時になると「夕飯はまだか!何をぐずぐずしている」と怒り出す。妻は倒れそうになりながら、茶碗にご飯をよそい、買ってきた煮豆と一緒に夫のもとへ持って行くが、夫は気に入らないのか食べようとせず。妻の声掛けにも返事をしない。夫もやせ細り、常にゴロゴロ痰が喉にひっかっかている音がする。

今回、妻の抗がん剤治療のあと体調が優れないため、訪問看護の依頼があった。

初回訪問時は月曜日。ベッド上で息が荒い。ベッド周囲吐物で汚れている。嘔気嘔吐で土日全く摂食、飲水ができていなかった。ゴミ箱には、胆汁様吐物多量にあり。そのような状況でも、夫はストーブの前に丸くなり、たばこを吸っているのである。妻が苦しんでいるのに見向きもしない。早急に主治医に連絡。病院とも連携を図り、救急搬送となった。

夫の万年床には多くの煙草の焦げたあとがある。火事が心配だった。お金の管理は妻がしているため、どうするのか尋ねてみた。「金がなくなったら病院へ行くまでさ」  所持金は500円。食事の準備や掃除洗濯など支援が必要と思われたが、介護保険の申請、他者の介入もすべて拒否。地域包括支援センターに相談。同行訪問しても、らちが明かず。市役所福祉課に情報提供した。

一つのステーションだけで情報をとどめるのではなく、多くの関係機関と連携していくことが重要である。できれば民生委員にも見守りをお願いしたいところだが、2か月前に引っ越してきたばかりであり(前のアパートを追い出された様子)関係性構築が難しい。

今後、このようなケースばかりでてくると思われる。本人が拒否している場合、支援にも限界がある。妻の病状も心配・・・権利擁護も含め、さて これからどうする?

マイブーム

お題「マイブーム」

ここ2~3カ月で、体重が4kg増えた。夕食後のデザート、寒さを理由に動かないことが原因。

この年になると代謝が悪く、間食を減らしたくらいでは痩せない。

2週間前、病院勤めの友人に久しぶりに会った。以前より一回り小さくなって、痩せている。小顔が際立った。「痩せたねー、何やってるの?」「酵素と玄米にはまっているの。健康的に痩せようと思って」「どこの玄米?」「結わえるの寝かせ玄米。レトルトパックがあるから簡単だよ」 すぐインターネットで注文。10日間玄米ご飯(いろいろ味がある)のみ食べるチャレンジスタート。説明書には朝食は抜き、一日2食とあるが、さすがに仕事ができないので3食はしっかり玄米ご飯をたべた。噛み応えがあるため、満腹感も実感できる。1週間で1.2kg減った。 これはいいぞ! 健康的にやせている実感がある。

もとの体重に戻すまで しばらくマイブームとなるだろう・・・

ちょっとした贅沢

お題「ちょっとした贅沢」

冬の寒い日には、車の暖気運転が必要だ。しかし、エンジンが暖まるまで寒い車のなかで待つのもつらい。昨年、エンジンスターターをつけた。出かける10分前に、家の中からエンジンスターターのキーで車にエンジンをかける。車に乗り込む時には、エンジンも暖まっているし、車の中もほんのり暖かい。この時に、幸せを感じる。車が「さあ、仕事だよ。頑張ろうね」と私を元気づけているように思うのだ。

仕事帰りも同じ。事務所から駐車場まで50mは離れているが、ちゃんとエンジンが作動するのも驚く。車が「お帰りなさい」と迎えてくれる。

寒い時期に味わう、私の「ちょっとした贅沢」である。

アドラー心理学

「嫌われる勇気」のテレビを見て、アドラー心理学に興味をもった。

早速3冊本を購入。読んでいくうちに 私はだめな管理者であることを痛感する。

自分自身の今までの多くの経験から、すべてをスタッフに指示していた。あらゆりリスクを回避すべく対処していた。ステーションとしては上手く機能する。しかし、スタッフが育っていないのだ。

問題がおきれば、すぐカンファレンスを開き問題解決をしていくが、「なぜ、なぜ」と原因の探求をしてしまうため、結局しばらくすると同じ問題が発生する。建設的に話し合ったつもりが、そうではなくスタッフの意識が変わっていないからだ。アドラーに学ぶ部下育成の心理学(小倉広著)には「ほめるな 叱るな 教えるな」と書かれている。これすべて 私は行っていた。私の期待以上の関わりができれば褒め、指示通りできなければ叱り、問題が起きないように看護の注意点、関わり方、対処方法などを教えていた。

これでは、スタッフがいつまでも指示待ち人間になり、成長できないはずだ。購入した3冊は一晩でいっきに読んだ。読んだら実行するしかない。

失敗を恐れ、予防線をはることなく スタッフ自身が失敗して自分で学ぶ必要がある。

自分で考えて看護していく必要がある。

私自身、行動変容しないといけない。いくつになっても未熟であり、成長しないといけないと痛感する。

また、アドラー関係の本を買おうと思う。当分 この心理学にどっぷりつかりそうだ・・・

命の値段

70才男性。肺がん末期状態。妻に先立たれ 男で一つで二人の子供を育てた。長男夫婦と孫と同居。長女は嫁ぎ、夫の家業を手伝っている。長女には4つ子がおり、育児と仕事で忙しい毎日を送っていた。

肺がんの病状が進行する中、熱発を機に脱水となった。しかし、点滴を頑なに拒否するのである。医師と看護師で幾度か話を聴くうちに意図がわかる。「自分はあと1か月のうちに死ななければならない。そうしないと長女に400万円の保険金がおりない」 生命保険の受取人を長女にしていたのである。それを知った長女は「命を粗末にしないで、私のためにも生きて!お父さん」医師の説得もあり、補液を行い病状は安定した。

日にち単位になった段階で、私は長女に電話。「2~3日でいいのでこちらに寝泊まりして介護できませんか?」本人が長女に思いをはせていることはわかっていた。一緒に住んでいる長男には目をかけられるが、遠くに嫁いだ娘さんのことが一番気がかりだったのだ。娘さんは4つ子を義母に任せ、来て下さった。できるだけケアは一緒に行った。看護師が清拭するより、ぎこちない手で娘さんが行った清拭に、本人はやわらかい笑みを浮かべた。

本人の横に布団を敷き夜も過ごされた。娘さんが帰らなければならない日の昼間、急に容態が悪化。息子さん夫婦、娘さんに見守られ 天国に旅立った。

大切に育てた子供さんたちに見送られ、幸せであったと思う。

大切な命に値段などない。