お参り
自宅で亡くなられた場合、2~3週間後にお線香を持って、お参りに伺う。
祭壇の前で、故人の思い出話しを聴くことができる。
病院から退院してくる時に、その妻は「私は看れませんよ。嫌です」と言った。
病院スタッフは、夫婦間で何かあったようだと言っていた。しかし、本人は在宅死を希望し、娘さんもそれを受け入れていた。
訪問看護師が全面的にバックアップする約束で退院。
毎日訪問して、妻に介護方法を指導、できる範囲でいいから無理なく介護すること、困ったらいつでも訪問看護へ電話を入れるように説明した。
とても寡黙な患者さん。腹水がたまり、黄疸が強くなっても 痛みのコントロールができており、静かな療養であった。
お孫さんがお見舞いに来たあと、容態が悪化。妻と娘さんが見守る中、静かに息を引き取った。
60才までは給与を家に入れており、お小遣い制での生活。
しかし、定年を迎える日になって、妻に言った。「これから稼ぐ金は、一切家に入れない。自分で自由に使う」と。
その事で夫婦はもめたのだろう。
夫は好きなお酒、競艇などのギャンブル、他人へのプレゼント・・・好きに使った。
一銭も貯金しなかったと言う。
そして他界。お葬式に、さまざまな所から花束や香典が届いたと言う。いろんな方から
「本当にお世話になりました。ありがとうございました」と声をかけられたと・・・
夫は仕事仲間や、以前勤めていた職場、知人などをとても大切にしていた。ことあるごとに差し入れをしていたらしい。
妻は言う。「大往生でしょう。好きなように生きたんだから・・・みんなに御礼言われて、私も嬉しいですよ。いろいろあったけど、家で最期を迎えられ本当によかったと思います。ありがとうございました。」
退院してくる時の妻の、怪訝な顔つきとは一変し、笑顔があふれていた。
本人が望む最期、家族が満足する最期。 また一つ 訪問看護の仕事が終わった。