samansa59’s blog

訪問看護の仕事の中で感じたことなど自由に書いていきます。

嫁姑

相手を思いやる心。それは、親・子供などの血縁に関係なく、ある程度、人として備わったものである。しかし、それが嫁、姑の関係になるとなぜか歪んで受け取られる。

お嫁さんが姑のことを思って、薄味にしたり、カロリーに気を配ったり、自立するために自分でできることは手を貸さなかったりすることが、「わたしを邪険にする。気の利かない嫁だ」という評価になる。それが娘であったら・・・「あの子は私の病気に気を使い、食べ物を考えてくれる。味は薄いけど我慢しなきゃね」となる。

どうしてか・・・

今の高齢者の頭の中には、「嫁のあるべき姿」があり、嫁としての自分の基準に達していないと烙印を押す。そして、すべての行動、発言した内容を自然と拒絶するようになる。嫁さんの言い分として、「私なりに一生懸命やっている。とにかく、私のやることが気に入らないのよ…」いずれその気持ちのずれは修正のできないものになる。別居するケースも多い。家に嫁ぐという考えが、もう過去の言葉となった。

長年の気持ちのずれは、介護に多分に影響する。お互いが気まずく、世話に心がこもらない。仕方なしに行っている作業とかす。

同居した段階から、お互いを尊重し、ある程度のことを許す心があれば、身の回りの世話を頼む段階になってもいい関係は維持できるのに…所詮、他人。最初から上手く行くわけはなく、上手くやっていこうとしないといけない。患者さんがしゃべる嫁さんの愚痴、お嫁さんが訴える患者さんの愚痴を聞きながら、看護師が双方を取り持っていく。言葉は、伝えないとわからない。双方に足りない言葉…「ありがとう」この言葉がたくさん交わされたら、相手を素直に受け入れられるようになったかもしれない。