samansa59’s blog

訪問看護の仕事の中で感じたことなど自由に書いていきます。

伝える

介護職の方に必要な医療知識の講演を依頼されて、今資料を作っている。

普段 私達が何を考え、何を判断し、どのように対応しているかをわかりやすく

まとめることがいかに難しいか痛感している。

この資料作りのために、ブログが書けなかった。

パワーポイントの資料は、58ページにもなってしまった。

嚥下に関する事、体調変化の気づき、看取りを短時間に講演することは至難の業だ。

90分の講演時間内に伝えたい内容は山ほどあるが、全部説明はできない。しかし、

追及したら きりがないくらいの資料になる。

できるだけ写真やイラストを乗せ、誰がみてもわかりやすいようにしている。

伝える文章は、幾度書き直しても、「この表現で伝わるかなあ」・・・と思う。

ま、やってみるしかない。アンケート結果を楽しみにすることにした。

久しぶりに、自分自身の振り返りと、勉強にもなった。

 

閉塞感

昔の病院は長期入院ができた。高齢者でも、出来る限りの治療を行い、リハビリもしてからの退院ができ、看護師も看護計画、看護過程の展開ができ、やりがいを持って仕事ができていた。

現在ではどうか・・・入院期間の短縮で入院は2週間から3週間。地域連携病床がある病院は転棟する。MSWは転院する病院、施設を探す。長期入院は病院が赤字になるからだ。在宅にもどりたくても、核家族化が進んだ今、どれだけの人が住み慣れた家に帰ることができるのか・・・病院医師も、在宅サービスの内容や在宅の現状を知らない。患者さんがどこに帰りたいのか興味がない。退院調整看護師が、在宅調整して、できるだけ在宅療養継続できる環境整え、訪問診療のできる医師を探し、一生懸命行っているのに、「どうせ、すぐ入院してくるんじゃないの」 すべて台無しにする言葉を発する。

在宅医療はどうか・・・在宅診療に特化した医院は何人もの医師が在籍し、ターミナルもしっかり診て下さるところもある。しかし、ほとんど1人院長で働いている医院が多い。一人では行えることに限界があり、土日や夜間深夜の見取りが難しくなる。よっぽど看取りに思いのある医師しか身を削って患者の最期まで支えられない。だから「何かあれば、救急車呼んで」という言葉がでのである。在宅での看取りをしてほしいと患者家族が思っていても、連休が続く場合や年末年始、医師の都合で希望はかなえられない。国が、在宅へのシフトを強化しているが、現実的に無理だ。訪問看護師の気持ちだけでは、在宅は支えられない。今までも、多くの失望を体験しながらも、自分たちにできることは何か模索してきた。私たちが諦めたらおしまいだから・・・看護師としてのモチベーションを失いかけても、何とか奮起してきた。

しかし、何ともいえないこの閉塞感は、ずーと心の中に潜んでいる。

閉塞感のある世の中で、人に寄り添える仕事をしている自分に、誇りをもてるように

これからも仕事をしていきたい。

 

 

 

田舎の両親

私の両親は信州で二人暮らしをしている。父は86才、母は83才。

父は最近ヘルニアの手術をしたため、帰省した時に患部を見させてほしいと言ったが

父は「大丈夫、ちゃんと先生に診てもらっているからいい」と見せてくれない。

料理の得意な父か、栄養バランスを考えいろいろな料理を作っていたが、最近はスーパーで惣菜を購入してくる回数が増えた。母は耳が遠くなり、聞き返すことが多い。

父は車の運転をしている。それもオートマではなくマニュアル車に乗っている。マニュアル車でないと、車を運転している醍醐味が味わえないと言う。もう、そう言っている年齢ではないと思えるが・・・

母は言う。「お前は、たくさんの患者さんに責任のある仕事をしているのだから、私達のことは心配しないで、ちゃんと仕事しないさいよ」

娘が50才半ばを超えても、親にとって子供は子供なのである。

娘の心配をよそに、「二人でしっかりやっているから、そんなに来なくてもいいよ。お前も忙しいから」と私を気遣う。

訪問看護師の仕事をしているが、親が病気になっても世話はできない距離にいる。

両親が住んでいる地域でのサービスに任せるしかない。

その分、私は自分のステーションの患者さんをしっかり看護していく。

80才代の患者さんに両親をだぶらせながら、いろいろと余計な世話をやきたくなる

私である。今後、私と同じような少しおせっかいな訪問看護師さんが、きっと両親を看てくれると願っている。

自分の居場所

80代女性。糖尿病からくる神経障害で視力低下、神経因性膀胱から膀胱留置カテーテル管理が必要であった。認知症の進行から攻撃的行動、介護抵抗、妄想など周辺症状もみられ、留置カテーテルの自己抜去リスクがあり、毎日導尿のため訪問看護開始となった。

入院中は不穏行動や粗暴行為、ベッドからの転落もあった。損傷のハイリスク状態。

病院へ訪問した時も、病室の高柵や抑制ベルト、ベッド下に敷いてあるマットレス、室内の荒れた状態を見て、在宅大丈夫だろうか?と内心心配だった。

退院後どうだったか・・・

毎朝訪問するが、笑顔で対応して下さる。導尿を1回も拒否されたことはない。訪問看護師に「ありがとう」と言われる。

ADL拡大目的で端坐位をとる時間を設けると、昔話を嬉しそうにして下さる。そして、介護している息子さんに感謝のことば・・・

病院と在宅でこうも違うのか・・・自分の家が、本来の居場所なのである。

溢流的に尿失禁はあるが、残尿500~700mlあるため、今後も導尿は必要である。しばらく様子をみて、留置カテーテルを試していこうと思う。

特に認知症の方は、住み慣れた自宅が一番落ち着く場所。

自分の居場所にいられる幸せが長く続くことを願う。

 

自己責任

70代女性、長年の喫煙が原因でCOPD発症。少し動くとSpO2値80%まで低下する。

日常生活、常時酸素吸入が必要であった。

元美容師のその方は、とてもおしゃれで、他人の目を気にされるため、外出の時こそ

酸素が必要なのに、あえて使用せず外出していた。

ある日、大阪の妹さんの所まで新幹線で出かけると聞いた。

「携帯酸素と、滞在する妹さんの自宅に酸素の器械手配しますね」と説明すると

「酸素なんていらない。今までも酸素なしで外出していたから」

「でも、もしもの時に酸素がないと大変ですよ」「大阪でなんとかするからいい」

看護師のいう事に対して、聴く耳をもっていなかった。

旅行の当日、新幹線ホームに行くために、階段を上ったところで意識が遠のき倒れた。あいにく、怪我はなかったが、旅行は中止となった。

「やっぱり、看護師さんが言った通り、酸素がないとだめね」とケロッと言った。

看護師は、予測を立てて緊急事態が起きないように、日ごろの生活を整える。

しかしこの方のように、事態を経験しないと 理解できない患者さんも多い。

看護師は病状、今後起こりうる事態など含め、先を見越した調整と患者説明を行うが、実践するかしないかは患者自身の自己選択であり、自己責任である。

認知症がなく、自己判断できる能力のある人は、自分自身の行動に対しては「責任」を持つことは、当然のことである。

ただ、他人に迷惑のかかることはしないでほしいと願う。

 

 

夫婦の機微

80才男性、肝臓がん末期。病院から訪問看護の依頼を受け、カンファレンスのため訪院する。

担当看護師からは「夫婦仲が悪いので在宅での看取りは無理だと思います。」

在宅に戻って、その言葉の意味が理解できた。

「動ないと歩けなくなるからトイレぐらい歩いて」「この人何も言わないから、わからない」「えー、私がオムツ替えるの?嫌だ」

パジャマに嘔吐の痕跡があるが、乾いてカピカピになっている。

「気持ちが悪くて、吐かれたのは何時頃でしたか?」造り笑いをして答えない。

「ほら見て下さい。この人はこういう人なんです。私が、一生懸命やってあげたって、感謝のことばひとつないんです」

夫婦の長い歴史の中で何があったかはわからない。夫婦になった時点から、自分のことは何も言わなくてもわかって当然、家事はやって当然、何を言われても耐えるのが妻の役目・・・お互いをお互いが尊重し合う関係ではなく、一人が犠牲となり相手に尽くす。そこに、感謝の言葉かけ一つなければ、人として自分の存在価値を見いだせなくなるだろう。その相手が、病気に伏しているからといって、献身的に介護ができないのが当然でもある。

看護師が二人の間を取り持ちながらケアしていく。

腹水貯留が顕著となり、近い将来入院になるだろう。

それでも、本人は「家はいいなあ」と言われるのである。

夫婦間の機微は、少ししか関わっていない私達には、はかりしれない。

家政婦

介護保険制度が始まって、家政婦の仕事はだいぶ減った。しかし、まだ家政婦で働いている人も多い。

その家政婦さんは81歳。きちんとお化粧をして、吸引、胃瘻処置、排便処理、清拭など手際よくこなされていた。しかし、患者さんは夜間せん妄があり、寝るれない日が続いていたが、連続4日の勤務をこなしていた。

家政婦さんには、糖尿病の持病があった。時々眩暈もみられた。「一度、精査されてはどうですか?」「代わりの家政婦さんがいないのよ」

ある日、眩暈から転倒しあばら骨にひびが入り、休業となった。

急なことで、新しい家政婦さんがみえたが、いままできちんと仕事をこなしていたその家政婦さんに匹敵する方が見つからず、何人も何人も交代した。いずれの方も高齢であった。最後にみえた方は85歳の家政婦さんだった。年齢から考えても、泊まりのある仕事はきびしい。

骨折もそこそこ良くなり、81歳の家政婦さん復帰した。

「もう大丈夫ですか?」「まだ少し痛いけどね・・・HbAicも7.6あるって・・・」

このまま 仕事が始まり、また無理をすれば 糖尿病合併症で家政婦さん自体が介護される日も遠からずではないか・・・ 

「どうか、お体だけはお大事にして下さいね」

「働けるうちは、働きたいのよ」

こんな家政婦さんを 必要としている人も、多く存在するのである。