samansa59’s blog

訪問看護の仕事の中で感じたことなど自由に書いていきます。

多職種協働

「介護職に必要な医学知識」の講演を約100名の方に行ったアンケート結果がでた。

大変満足48名、満足39名、普通2名、やや不満1名。87名の方に満足以上を頂き、実際ほっとしている。せっかく講演するのだから、仕事を終わりの夜にわざわざ足を運んでいただいた方に、有意義な時間にしてほしいと思っていた。事前に、どのような話を聞きたいか具体的にアンケートをとり、その内容をほぼ網羅できるように資料を作成した。

パワーポイントで54ページ。90分の講演はあっという間に終わった。多くの質問があった。介護職の方々の利用者さんへの思いが感じられた。

介護保険が導入されてから16年。看護職と介護職の協働が必要になってきている。しかし、介護職の方々は一応にこう言われる。「看護師さんこわいから、何も聞けない」

看護師自身が考えを改めないといけないのではないか。相手は専門的な医学知識のない人たちである。勉強する機会のなかった人たちも多い。利用者さんの病状や今後起こりうる事態を説明するのに、わかりやすい言語で相手の理解度を感じながら説明していく責任がある。

当ステーションのスタッフもよく言う。「ヘルパーさん何にもわかっていない」

じゃあ、わかっていないことをきちんと説明してきたの?

私は、スタッフに言う。「介護するすべてのヘルパーさんがわかるパンフレットをつくりなさい。図や写真をつけて、誰がみてもわかるようにするべきじゃないの?」

誰もが 私たちと同じ知識を持っていない。あたかも 知識がない事が悪いことのように避難する傾向がある。

そうじゃない。わからないことは教えて、一緒にやっていこうという気持ちがあるかないかだ。在宅では、患者さんに関わるすべての人がチーム員であり仲間なのだ。その意識がない限り、患者さんにとってよい看護・介護はできない。

地域包括ケア、多職種協働とうたわれているが、すべても職種の垣根をこえて、人間同志手をとりあい仕事をすることはできないものか・・・医師や薬剤師、歯科医師も同じことである。上から目線でいばっていては、チームはつくれない。

また来年も講演を依頼された。お役にたつのであれば、いつでも出向いていくつもり。

定年まで残された時間を少しでも、多くの方の役にたつ仕事をしたいと思っている。

嫁姑

相手を思いやる心。それは、親・子供などの血縁に関係なく、ある程度、人として備わったものである。しかし、それが嫁、姑の関係になるとなぜか歪んで受け取られる。

お嫁さんが姑のことを思って、薄味にしたり、カロリーに気を配ったり、自立するために自分でできることは手を貸さなかったりすることが、「わたしを邪険にする。気の利かない嫁だ」という評価になる。それが娘であったら・・・「あの子は私の病気に気を使い、食べ物を考えてくれる。味は薄いけど我慢しなきゃね」となる。

どうしてか・・・

今の高齢者の頭の中には、「嫁のあるべき姿」があり、嫁としての自分の基準に達していないと烙印を押す。そして、すべての行動、発言した内容を自然と拒絶するようになる。嫁さんの言い分として、「私なりに一生懸命やっている。とにかく、私のやることが気に入らないのよ…」いずれその気持ちのずれは修正のできないものになる。別居するケースも多い。家に嫁ぐという考えが、もう過去の言葉となった。

長年の気持ちのずれは、介護に多分に影響する。お互いが気まずく、世話に心がこもらない。仕方なしに行っている作業とかす。

同居した段階から、お互いを尊重し、ある程度のことを許す心があれば、身の回りの世話を頼む段階になってもいい関係は維持できるのに…所詮、他人。最初から上手く行くわけはなく、上手くやっていこうとしないといけない。患者さんがしゃべる嫁さんの愚痴、お嫁さんが訴える患者さんの愚痴を聞きながら、看護師が双方を取り持っていく。言葉は、伝えないとわからない。双方に足りない言葉…「ありがとう」この言葉がたくさん交わされたら、相手を素直に受け入れられるようになったかもしれない。

お参り

自宅で亡くなられた場合、2~3週間後にお線香を持って、お参りに伺う。

祭壇の前で、故人の思い出話しを聴くことができる。

病院から退院してくる時に、その妻は「私は看れませんよ。嫌です」と言った。

病院スタッフは、夫婦間で何かあったようだと言っていた。しかし、本人は在宅死を希望し、娘さんもそれを受け入れていた。

訪問看護師が全面的にバックアップする約束で退院。

毎日訪問して、妻に介護方法を指導、できる範囲でいいから無理なく介護すること、困ったらいつでも訪問看護へ電話を入れるように説明した。

とても寡黙な患者さん。腹水がたまり、黄疸が強くなっても 痛みのコントロールができており、静かな療養であった。

お孫さんがお見舞いに来たあと、容態が悪化。妻と娘さんが見守る中、静かに息を引き取った。

60才までは給与を家に入れており、お小遣い制での生活。

しかし、定年を迎える日になって、妻に言った。「これから稼ぐ金は、一切家に入れない。自分で自由に使う」と。

その事で夫婦はもめたのだろう。

夫は好きなお酒、競艇などのギャンブル、他人へのプレゼント・・・好きに使った。

一銭も貯金しなかったと言う。

そして他界。お葬式に、さまざまな所から花束や香典が届いたと言う。いろんな方から

「本当にお世話になりました。ありがとうございました」と声をかけられたと・・・

夫は仕事仲間や、以前勤めていた職場、知人などをとても大切にしていた。ことあるごとに差し入れをしていたらしい。

妻は言う。「大往生でしょう。好きなように生きたんだから・・・みんなに御礼言われて、私も嬉しいですよ。いろいろあったけど、家で最期を迎えられ本当によかったと思います。ありがとうございました。」

退院してくる時の妻の、怪訝な顔つきとは一変し、笑顔があふれていた。

本人が望む最期、家族が満足する最期。 また一つ 訪問看護の仕事が終わった。

富士山登山

70才代男性 胃癌肝臓転移の末期状態。治療効果なく緩和目的で訪問看護開始する。

富士山に10回以上登頂、フルマラソンも何回も出場するなどスポーツマンであった。

肝腫大で腹満があるにも関わらず、ジーパンをはいている。「お腹、きつくないです

か?」「これが、おれのスタイルだから・・・」

下肢浮腫が著明となり、転倒をするようになっても妻の支援を拒んだ。「助けてもらっ

ては病人になる。自分でできるうちは自分でする」妻は訪問看護を毎日臨んだが、本人

が週1回でいいと言った。もうすでに日にち単位であったため、早い段階で寝たきりに

近い状態になった。訪問看護の回数を増やした。「富士山にもう一度登りたい・・・」

叶わぬ夢であった。しかし、壁、天井に昔登山していた時の写真を大きく引き伸ばし、

いたる所に貼ることで、少しでも富士山とともにいる空間をつくった。

そして永眠。穏やかな最期であった。

訪問看護師がエンゼルケアをした。衣裳は登山服。その人らしい、死に装束であった。

 

点滴指示

医院やクリニックでも訪問看護をしているところがある。

その医院と訪問看護と連携するときがある。点滴指示が口頭で言われる場合は、

必ず書面で頂きたい旨を連絡する。そうすると「後でだす。うちの医院はいつもそうしている」と返事がくる。

それは そこの医院の慣れあいであって、本来してはならない事である。

口頭で聞いた指示にどれだけの信憑性があるのか?

「俺はそんなこと言っていない」「私はそう聞きました」なんてことがあっていいの

か?人間は間違える動物である。だから、書面に書いた指示を何人もの看護師や家族で

確認するのである。

私の訪問看護ステーションでは、点滴指示箋をみながら 訪問看護師と家族でよみあげ

ながら確認している。ダブルチェックは必然。家族とともにチェックして、家族の前で点滴を準備する。そして、何のための点滴かも説明する。

医院の看護師さんは、そのようなことなく 自分で口頭で受けた指示を自分で準備する。

恐ろしいのは間違っていても、家族はわからないという事だ。

点滴指示書を書くのがめんどくさいのだろう。しかし、人の命に関わることに関して、めんどくさいなんてことはないはずだ。

大きな組織では守られていることが、小さな組織ではトップの考え方でスタッフが左右される。しかし、看護師である以上、そのような医師に対して きちんと意見がいえないといけないと思う。

なんのための国家資格か。医師の言いなりになるための資格ではない。

やるべき事はきちんとやる。患者さんのために。

点滴指示以外でも同じことが言える。保助看法の法律のもと、働いていることを自覚

し、医師の命令だからと言って、医師の施行する範疇まで行っていいわけがない。

看護師として毅然たる態度が必要である。

在宅は医師で決まる

 70歳男性Kさん。糖尿病、脳梗塞、神経因性膀胱でほぼ寝たきり状態。

認知症の周辺症状である妄想、暴言・暴行行為が激しかった。

バイタルサインを測ろうとすると、暴言とともに看護師に殴りかかる、枕を投げる

妻が静止しようと手を握ると、妻の腕を思いっきりつねる。妻の両腕は内出血痕で真っ

黒になっていた。医師が往診すれば、先生に向かって唾を吐いた。精神症状を鎮めるた

めに薬の処方を医師に依頼しても、「性格だから、仕方ない。あんなんでは、何もでき

ん」と言われる。入院での症状コントロールをお願いしても、医師は必要ないという。

Kさんは、好き嫌いが激しく、ごはんは食べず、菓子やジュースしか飲まない。夜中中

騒ぎ、家族中眠れない日も出始めた。

暴力行為がエスカレートすると、妻はKさんの手を縛るようになった。

在宅介護の限界だった。往診している医師が高齢で、この患者の症状を上手くコントロールで

きていなかったし、まずご家族と患者さんの立場にたって、なんとかしようと考えない

医師であった。唾を何回か吐かれたことで、内心良く思っていなかったのかもしれな

い。妻に入院して症状コントロールしては?と持ちかけたが「恥ずかしくて入院なんかできな

い」と言われ、打開さくがみつからず、同居する長男さんに話をした。長男が母親を説

得。長男から在宅医にお願いしてもらった。医師は不服そうな態度をしめしたが、病院

に紹介状を書いてくれた。入院し精査するとともに、精神科医師の介入で暴力行為がな

くなった。結局、高血糖、電解質バランス異常などもあり、症状が悪化していたのであ

る。

長男の判断で、退院後は別の医師に往診を依頼された。看護師のケアも、暴言はある

程度みられるが、殴られることはなくなった。その医師は、看護師の話を良く聞いて下

さる。自分が考えていることを伝えて下さり、普段の看護師の報告も丁寧に聞いて下さ

った。

家族の医師への信頼度があがり、医師・看護師間も協働体制が整った。

在宅はチームで支えないといけない。チーム(家族も含め)間の連携と信頼(お互いを

尊重する姿勢)が不可欠である。

在宅は医師で決まるといっても過言ではない。

 

ゆとり

管理者の仕事をしていると、どうしてもデスクワークが多くなり、運動不足になる。

医師への提出する書類を、近くの医院へ歩いて持っていくことにした。

普段は車でばかり移動しているため、あらためて街並みを眺める。

この川に鴨と白鷺がいたんだ・・・この道、ここに繋がっているんだ・・・

小春日和の今日、すこしゆとりを持てた。

若い時は病棟で毎日忙しい時を過ごした。子育ても時間に追われる生活だった。

もうそろそろ、ゆっくり自分と向き合う時間を持ってもいいと思う。

人のために多くの時間を費やした。それが生きがいだった。

 友人は言う。「人のために働いて生きがいを見出せる人は、自分自身しっかりしていて

幸せだからだよ。自分に余裕がなかったり、幸せでなかったら、他人の世話をして生き

がいを見出すことなんてできないと思うよ」

私は今まで幸せだったかもしれない。子育ての時は義母が助けてくれた。私の仕事に関

して夫は理解をしてくれている。子供3人、素直に育った。

いろいろあったが、自分の好きなようにやりたい事をやってきている・・・

生きがいをもって今まで生活ができたことに感謝しないといけないと感じる。

穏やかな日に、ゆっくり歩きながら 自分自身に思いをはせる時間が少し持てた。

ほんのちょっとのゆとりが大切である。