samansa59’s blog

訪問看護の仕事の中で感じたことなど自由に書いていきます。

いろいろな人間模様

ある社長さんのお母さま。胃がん末期状態。できる限り家で看たいという希望で訪問看護の依頼があった。居室は2階にあり、景色の良い庭が眺められる。

訪問すると常に長男がいた。看護師のさまざあまな提案に対して、「そんなことは望んでいない。点滴だけやってくれればいい」と言う。それでも、私は本人にしたいこと、やりたいことはないか聴いた。「庭が見たいから、廊下の椅子に座らせてほしい」

「無理するとあとでえらいから寝ていたほうがいい」「私は絵手紙が好きで、今までいろいろ書いたのよ」「その作品みたいですね」「そんなものは昔の話だ」・・・

本人の希望や要望は、ことごとく却下されていく。次男や長女はいつも来訪するが、すぐ帰っていってしまう。

この長男は、最期に何をしてあげるつもりなのか・・・

もう一人、脳腫瘍の末期の患者さん。女性。最期を家で過ごしたいと帰宅。子供さんが3人。孫が6人。患者さんのことを皆でKちゃん、Kちゃんと呼ぶ。夫は、仕事以外、常にそばに寄り添い、声をかける。訪問すると、ベッド横でうたた寝しているので「少し休まれてはどうですか?」と夫にいうと、「残り少ない時間、そばにいたいんだ」といい、かいがいしく世話をする。そばでは、お孫さんがおかしの奪いあいをして大騒ぎをしている中、本人は穏やかな笑みを浮かべる。本人が少し痛い顔をすると、お孫さんがそばにきて「Kちゃん痛いの?どこが痛いの?さすってあげる」という。5歳の女の子のその手は、天使のように見えた。

いろいろな在宅。いろいろな最期。さまざまな人間模様がある。

訪問看護の営業

高齢者の多死時代。

昨年12月から、今年の始めで利用者の数が15人減少した。在宅死、入院後死亡など合わせた数である。ある患者さんは、病院で亡くなったと聞いて、土日をはさみ月曜日に挨拶に伺った時に、ご遺体がまだ家に安置されていた。火葬場が混んでいて、順番待ちだとのこと。

以前聞いたことがある。将来、高齢者の死亡に火葬場が追い付いていかないため、火葬フェリーに乗りこみ、湖を一周するうちに何十人もの火葬を済ませるのだと・・・

恐ろしい時代となった。

現実には、これだけ利用者が減ると 経営に関わってくる。訪問しない時間をマニュアルの見直しや、看護計画の再立案、ケア内容の見直し、年間サマリの時間に当てられると思うが、訪問患者さんがマンネリ化してくると、かえってモチベーションが維持できない。

訪問看護の新規患者の統計をとっているが、12月から2月は毎年低迷しているから仕方ないか・・・

訪問看護の必要な、潜在患者さんは いくらでもいるはず。

ここらで、また営業をかける必要がある。頑張ろう!

 

 

内服管理

正月早々に患者さんの息子さんから電話が入る。

「糖尿病の赤い薬が朝の所に入っていない」とのこと。トラゼンタの配薬漏れだった。すぐ訪問して、セットし直す。

どうしてこのような事が起きるのか?

この患者さんは内分泌内科、神経内科泌尿器科と3つ受診しており、受診日が異なるため処方薬をバラバラで管理しないといけない。必ず、薬の説明書と照らし合わせ、セットするのであるが、なぜか内分泌内科の説明書が入っていなかった。前回セットした看護師が薬袋があるから、わかると判断した結果であった。

この患者さんの家は高齢な妻が内服管理できないため(認知症があり、薬を自分の薬と混ぜてしまう)ステーション管理にしている。こんなことなら、息子さんと話し合って、息子さん管理でも良かったのではないか?

ステーションでは、必ず最新の薬の説明書と照らし合わせて薬をセットするようにしている。マニュアル通りに行わなかった看護師がいたせいで、次に訪問した看護師のミスにつながった。今回は、家族が早々に気付き 服用することができたが、今までも 違うパターンで内服セットミスは起きている。

その都度、事故報告書作成し、全員でカンファレンスを開催し対策を話し合っているにも関わらず、どうし同じことが起きるのか?

各個人の注意ミスか、常に問題意識を持って働いていないためか?患者の情報収集不足か?   また、私の血圧があがる材料が増えた。

国家資格のある看護師である以上、きちんとした仕事をしないといけない。

来週 全員が出勤している日にカンファレンス開催。気を引き締めないといけいない。

ちょっとしたミスが、大きなミスにつながる。リスク管理必要である。

マグロの刺身

少し前の話。

田舎の大きなお屋敷に90才の患者さんと93才の夫が暮らしていた。

90才の妻はパーキンソン病で寝たきり状態であった。

終末期。嚥下障害が進み、固形物は食べられなくなった。とろみをつけたり

ゼリー食にするように説明。夫はある程度受け入れたが、マグロの刺身だけは

そのまま妻の口にいれるのである。「おまえは、マグロの刺身が好物だったからな」

曲がった背中で、冷蔵庫から刺身を取り出し、ぎこちない足取りで妻の元へ・・・

節々だった太い指で箸を使い、刺身を妻の口に中へ入れるのである。

嚥下できないので、いつまでも口腔内に残っている。ヘルパーさんも困った。

主治医から、夫へは説明してもらったが、その時は「はいはい」と言われるものの

毎日、マグロが口の中に入っているのである。

戦時中、戦後食べ物のない時代を過ごしてきた二人。ごはんさえあれば御馳走。

それにマグロの刺身はめったに食べれなかった。残り少ない命であれば、好きな物を毎日食べさせてあげたい。夫の妻への思いでもあった。食べれないことは承知している。窒息の可能性を覚悟の上で、承諾せざるを得なかった。

大晦日の日。雪が降る中、妻は永眠された。静かな最期であった。

マグロの刺身・・・大晦日が近くなると、いつも思い出す。

御用納め

今日で御用納め。癌末期や点滴の必要な方の訪問は年末年始まで続くが、事業所としての業務は終了する。1月から今まで約80人の新規患者を受け入れた。在宅での看取りは25名。12月に入り、多くのかたが亡くなり、利用者が減ったため、いろいろと見直す時間もできた。マニュアルの見直し、事業報告のまとめなど普段じっくりできていなかったことに時間を費やすことができた。

訪問看護ステーションの実習や研修受け入れも76名あった。忙しい中、各スタッフが患者説明や同行訪問など本当に頑張ってくれた。ターミナル患者9名を同時進行で看ていたときは、本当に繁忙で大変だったが、皆で協力して乗り越えた。

各スタッフのスキルがあがり、一人でマネージメントできるようになったおかげだ。

管理者が、スタッフそれぞれの強みを見出し、伸ばすとともに 弱いところをフォローする。そして、管理者自身が絶対ぶれない信念を持って仕事に望まないといけない。 すべては「患者さんのために」。患者さんのために訪問看護師として何をすべきか・・患者自身の疾患の理解、全身状態の把握、ADL状況、家族関係、家族の介護レベルや理解度、介護スキル、居宅環境、金銭的問題、主治医との連携、在宅チームとの協働、そして患者自身がどうしたいと考えているか・・・ありとあらゆる方向からアセスメントして何をなすべきか考えていく。そしてすべてを統括できるコミュニケーション能力と導いていく力を兼ね備えないといけない。患者さんのために、医師に意見をいうことも必要。 スタッフ全員が、トータルマネージメントできるようになってきている。 任せられるということは、管理者としては嬉しい限りである。 エキスパートな看護師は、個別性に応じた看護を直観的に実践している。

来年はその直観的実践が確実に記録に残るようにしてきたい。良い看護をしていても、記録にして継続看護できなければ意味がない。頭の中で行っている看護過程がきちんと記録に残ることが重要。まだまだ、課題がたくさんある。

来年も一つずつ達成できるように、事業計画をしっかりたてようと思う。

 

 

自分の生きた証し

終末、鹿児島に旅行した。日々の喧騒を離れ、静かでゆっくりした時間を過ごせた。土日だけしか営業していないそば処「みなみ」で昼食。手打ちそばは昔、祖母が作ってくれた味と一緒で懐かしく暖かな気分になった。お客さんは私達だけ。挽きたてのコーヒーもサービスで頂いた。夜は霧島の温泉でゆっくり体を休めた。

普段と違う空間に身を置くことで、心と体はリフレッシュできる。薄明かり温泉に湯の華がゆらゆらとして、非日常な時間は、生きていることを実感できる。

過去を悔やむことなく、未来を憂うことなく、今この時を精一杯生きよう。今を精一杯生きれば、過ぎ去ったことへの悔いは残らない。今、精一杯努力すれば、未来は必ず開ける。

来年は、パラグライダーに挑戦しよう。一度、空を飛びたかった。鳥のように・・・

いらない物をすべて捨てて(断捨離) スッキリしたい。歳をとると余分な物はいらなくなって、最低限の物で暮らしたくなる。実際、忘れっぽくなって物の管理ができなくなったことも事実。年齢に伴う身体の衰えを素直に受け止めながら、これ以上衰えないように毎日少しづつ運動をしよう。誰かと一緒に過ごす時間を、大切にしよう・・・

自分の「生きた証し」を、数多く残せるように、生きていきたい。私の人生の最期の時まで、精一杯生きた自分がいることを願う。

生きた証し

寒くなって、最近多くの患者さんが亡くなっていく。

ご家族は「もっと看てあげればよかった」と涙する。看取りは、どんなに精魂こめて介護したとしても、残された家族には悔いが残る。思いが深いほど、悔いが残るような気がする。「こんなに一生懸命、暖かい介護をされて、幸せだったと思いますよ。○○さんらしい最期でしたね」

あらためて訪問看護師に言われたことで、ご家族は救われると言われる。

涙を流しながらも、「本当にお世話になりました。看護師さんが清拭して下さったあと、とっても気持ち良かったらしく、コーラを1杯おいしそうに飲みほしたんです。その夜、私と娘が見守る中、本当に静かに・・・息が止まったことがわからないくらいに息を引き取ったんです。」

訪問看護師との患者さんの関わりを思い出しながら、最期には笑顔になる。悲しみの中に、しっかり看取った満足がある。

遺影は、旅行に行った時の帽子をかぶり、とびっきりの笑顔の写真。そこに、この患者さんが「生きた証し」があった。

こんなふうに、患者さんご家族と共に過ごした最期に時を一緒に振り返り、思いを共有できるのも訪問看護の魅力である。